2023年度から2024年度にかけて、新たに収蔵した資料の中から、作家の直筆原稿や手紙、掛け軸や短冊などの書画を展示します。執筆時の推敲の跡が見える原稿、個性豊かな筆跡が楽しめる書画、文学者の交友の様子が垣間見られる書簡などを紹介します。
【名称】新収蔵品展 直筆を楽しむ
【会場】山梨県立文学館 展示室C
【会期】2025年2月1日(土)~3月23日(日)
【休館日】月曜日(2月24日は開館)、2月12日(水)、2月25日(火)
【開館時間】展示室 9:00~17:00(入室は16:30まで)
閲覧室 9:00~19:00(土・日・祝日は18:00まで)
【観覧料】観覧無料
※下記リンクより、新収蔵品展のチラシ(PDF)をダウンロードできます。
樋口一葉『通俗書簡文』未定稿( 「猫の子もらひにやる文」)軸装
『通俗書簡文』は、一葉が生前に刊行した唯―の著書で、日常生活における具体的な設定のもとに書かれた手紙の文例集。あらゆる場面を想定した文例の数々は、文章の巧みさと美しさ、実用性のみにとどまらない文学的な趣を備え、一葉ならではの創作として高い評価を得ている。
「猫の子もらひにやる文」は、知人の飼猫が産んだ仔猫の内、白猫を譲りうけたいと頼む手紙。同書は博文館が発行する叢書『日用百科全書』の第12編として、1896(明治29)年5月25日に刊行。同年11月23日に24歳で死去した一葉晩年の筆跡を残す数少ない資料である。
高浜虚子「大空に又わき出でし小鳥哉」軸装
富士吉田市の俳人、柏木白雨(1901~1977)が旧蔵していた資料群を新たに収蔵した。1940(昭和15)年、高浜虚子(1874~1959)が山中湖畔に別荘を持ったことをきっかけに、富士北麓地域在住の俳人たちが虚子の指導を仰ぐようになるが、虚子門下の白雨は、父緑節(1878~1950)とともにその句会の中心を担った人物である。本展では高浜虚子のほか、虚子とともに山中湖畔を訪れた娘の星野立子(1903~1984)や高弟の富安風生(1885~1979)など「ホトトギス」派の中心的な俳人の書画、柏木緑節、白雨親子ら北麓地域の俳人たちの資料を展示する。
土屋文明筆 正岡子規歌「やまめ三尾は甲州の一五坊より」額装
本書に書かれている長歌は、正岡子規(俳人・歌人 1867~1902)が、門下で甲州在住の俳人新免一五坊(しんめんいちごぼう)からもらった、山中湖を水源とする桂川のヤマメを詠んで「病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)」に発表した作品。後年、土屋文明(歌人 1890~1990)が白雨の依頼を受けて揮毫(きごう)した。文明は、1963年に山中湖畔に山荘「黄木荘(おうぼくそう)」を建て、以後毎夏をこの地で過ごした。
芥川龍之介 山本喜誉司宛はがき
1912(明治45)年4月1日
国文学者吉田精一が旧蔵していた芥川龍之介(小説家 1892~1927)の山梨ゆかりの書簡2点を展示する。
本書簡は、第一高等学校在学中の芥川が、府立三中時代の友人西川英次郎と富士の裾野を散策した際に、下吉田の旅館で書いたはがき。朝東京を出発し、大月で汽車を下り、七里を歩いて下吉田に到着、旅館小菊に宿泊したことが記されている。冒頭には「旅人よいづくにゆくやはてしなく道はつゞけり大空の下」という旅の感慨をこめた短歌をしたため、文中には富士山の雪の白さや山畑に咲く菜の花について記す。
本資料のほか、第一高等学校入学後の1910年10月11日~13日に行軍演習のため山梨に滞在した折の感想を綴った山本宛の書簡も展示する。
この他、主な展示資料
・高浜虚子「避暑に来て一日帰農の友を訪ふ」短冊
・富安風生「機音も富士もとく覚めさはやかに」色紙
・志村さゝを旧蔵資料 飯田龍太「黄金虫うす雲竹のかなたにて」短冊ほか俳句関係書画、原稿
・飯田蛇笏「秋たつや川瀬にまじる風の音」短冊
・飯田龍太「冬山のふかき襞かなこゝろのかげ」短冊
・藤原定旧蔵書画、原稿
・井伏鱒二「笛の音」原稿